アメリカ社会保障の光と陰
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マネジドケアとは何か-

マネジドケア(Managed Care)は、社会保障費の削減のために過需要を減らすシステムの総称です。社会保障を受ける側と提供する側に、社会保障費を抑制する規制を行う管理統制システムです。

民間医療保障の誕生
 

医療供給の拡大と充実

高齢者医療の肥大化

医療費抑制と包括医療保障
 

抑制期の医療保障の適正化

抑制期の中心HMO・PPO


 


アメリカ社会保障の光と陰
ーマネジドケアとは何かー





民間医療保障の誕生

拡大期における民間医療保障システムの基礎確立

1.ブルークロスの起源と発展
 ブルークロス(Blue Cross, B/C)の起源は1929年テキサス州ダラスのベイラー大学病院(Baylor University Hospital)が、学校教師の組合と結んだ保険契約から始まった。教師組合は組合員から定額の保険料を徴収し、この資金を基金にプールする。この基金にある資金内で病院は組合員に対する医療サービスを保障するというものである。これによって病院は患者の確保を行いやすくなり、組合側は医療サービスが受けやすくなったのである。1932年にカリフォルニア州サクラメント市の病院グループが市内全域を対象にして、基金は市内で団体契約(企業等)や個人契約を結ぶという地域保険に発展した。世界大恐慌の影響による全米で生じていた病院の財政難に苦慮していたアメリカ病院協会(AHA , American Hospital Association)は、こうした医療保険の発展を積極的に支持して、各州にこの設立や規定を設けるように働きかけた。この結果全州で運営に係わる特典を準備した州規定ができて、全米で設立された。

2.ブルーシールドの起源と発展
 ブルーシールド(Blue Shield, B/S)は、1939年のカルフォルニア医師サービス(California Physicians Service)に起源があるといわれている。ブルーシールドは、病院ほど財政的には苦しくなかったことによりブルークロスに比較し発展がやや遅れた。この交渉の際には、開業の医師は単独で臨むのではなく、同一診療科目の医師がグループを作った。これは企業の患者を一人の医師で対応することは不可能であること、これに伴い医師間で医療内容とこの医療価格を統一することが必要であったからである。1939年に原型ができるとアメリカ医師会(AMA)がこれを支持し拡大し特に第二次世界大戦後の40年代に急速に普及していった。

3.民間保険会社の医療保険への参入と伸張

 営利保険会社は病歴価格決定方式(Experience Rating)が取られている。疾病経験がなく、健康で罹患リスクの少ない者は保険料が安くなる。ブルークロスとブルーシールドは年齢・病歴の相違を問わず加入者は同一保険料を支払う仕組みとなっている。若年層は保険料の低額さを理由に民間営利保険会社を選ぶことが多くなり、後発であったが保険加入者数が著しく増加した。


HMOの原型の登場とその特徴

1.1929年のHMOの登場とその後の発展
 1973年の連邦政府の公衆衛生法により定義づけられるHMOの原型は1929年に登場する。同年ロスアンゼルスのロス・ルイーズ・メディカルグループが複数医師の共同によって開設され市局勤務者に対して一括請負診療サービスを提供したのがHMO・グループプラクティスの原型と言われている。その後各地でHMOと位置づけられる組織が構築されたが、アメリカ医師会は開業医の独立性を強調するとともに前払い型の保険に強い反対の姿勢を示した。国民も医療機関の選択ができることを望む傾向があり、HMOはこの段階では飛躍的躍進を遂げるには至っていない。


2.医療機関に医療費効率化の責任
 HMOの際だった特徴は医療機関に医療費の効率的活用の責任を負わせること、保険加入者は保険料が低額であり、受診した際に自己負担がほとんど無いかわりに医療機関の選択ができないことにある。

マネジドケアに至るアメリカ社会保障の歴史

西暦 医療保険・保障動向 備考








拡大期


1929

1935

1939

1945

1946
1951


1960

1965
初期 民間医療保障システムの基礎確立
ブルークロス創設
HMO・グループプラクティスの登場
社会保障法の創設

ブルーシールド創設



中期 医療供給体制の充実
ヒル・バートン法
診療の標準化(JCAHの創設)

後期 連邦政府の高齢者医療拡充
ケラーミルズ法案
メディケア・メディケイド創設


世界大恐慌



第二次世界大戦


終結






GNP対国民医療費 5.9%



調整期
1970

1972

1973
1974
1975


社会保障法改正でPSROの創設
州政府の病院管理権限強化
公衆衛生法の追加修正でHMO法創設
国家医療計画・資源開発法の創設

GNP対国民医療費 7.4%




GNP対国民医療費 8.3%



抑制期
1980

1982
1983
1985

1993


TEFRA法によりPSROがPROに改組
メディケアパートAにDRG/PPS導入


メディケアパートBにRVS導入

GNP対国民医療費 9.1%


GNP対国民医療費 10.4%
  • MMPG総研(須磨忠昭先生資料に基づき作成

 

医療供給の拡大と充実

連邦政府による施設整備

 世界恐慌、第2次世界大戦の間、医療施設を改善する経済的ゆとりはなく、老朽化による設備の劣悪な病院が増加した。これを改善しかつ人口に相当する適正な医療施設の整備を目的とし、病院建設等に補助を行うことを定めたのがヒル・バートン法である。

1.アメリカ病院協会の増床提言
 第二次大戦の後半から病院病床の拡大、地域的な偏在を是正する計画が必要であるという議論がさまざまな形で行われた。その代表的なものが病院協会の提言である。アメリカ病院協会(AHA)は、1944年に病院医療委員会を創設し、同委員会は同年、米国において約18万床の病床が不足しており、大戦終了後に病院建設のための政府援助が必要と提言した。

2.ヒル・バートン法の成立と建設補助
 アメリカ病院協会(AHA)の提案等が機運となり連邦政府が積極的に医療施設の建設・改善を行う目的で制定されたのがヒル・バートン法 (Hill-Burton Act, 正式名 病院調査・建設法, Hospital Survey and Construction Act of 1946)である。

 本法は人口当たりの病床数を基準として、不足地域における病院・病床の整備を図るために、州単位の計画立案の補助、計画に基づく病院建設の補助を行うことを定めたものである。
 本法の創設時は、病院建築の補助を実施した。その後の改正で、ナーシングホーム(Nursing Home)建設や施設改善についても補助をして、医療供給体制の整備に大きな役割を果たした。具体的には各州が病床の必要数に係わる調査及び整備計画を策定し、これを連邦政府が認めた場合に、施設建築・改善の補助を行ったのである。

3.設備改善の動機づけをしたJCAH

 病院認定合同委員会による質の向上の努力によって、病院医療の水準は飛躍的に向上することとなる。JCAH (Joint Commission on Accreditation of Hospitals)は、1920年代の外科学会による病院標準化プログラムが作成されたのが起源である。病院協会、医師会、内科学会、外科学会等を母体に、1951年に専門医トレーニングの研修病院の認定機関として創設された民間団体である。この認定条件は極めて厳しい上に認定更新のたびに高い目標設定がされ、高機能病院にとっては常に向上を図らざるを得ない状況を生み出した。現在はJCAHO(Joint Commission on Accreditation of Healthcare Organization)と改名され、メディケアの適用機関や民間保険適用機関の指定を行う際に同機構の評価認定が活用されている。

 

 参考文献、参考ホームページ等のリストアップ、記入の日付等

 

高齢者医療の肥大化

1.メディケア・メディケイドの基礎となったケラー・ミルズ法案  
 1950年代から60年代の初頭にかけて、高齢者に限定された公的医療保険の創設が連邦議会で議論されるようになった。この中で後のメディケア創設の基礎となるケラー・ミルズ法案が提出されている。
 1957年に下院議員のエイム・フォーランドによって、初めての高齢者に限定した公的医療保険制度導入の提唱があった。1960年には上院議員、ロバート・ケラー、下院議員のウィバー・ミルズにより新たな法案が提出されて当時最も現実性が高いと評価され、後のメディケア・メディケイド制度の基礎と位置づけられている。
 米国における公的な国民皆医療保険制度の議論は1930年代のルーズベルド政権にはじまり、1940年代のトルーマン政権、1960年代のケネディ政権に引き継がれたものの、その都度医師会等の反発で実現することはなかった。
 これに比較してケラー・ミルズ法案は、高齢者に対象を絞っていることから医師会側も理解を示した。その後のメディケア・メディケイド創設時の議論の際には、ケラー・ミルズ本法案に基づいたエルダー・ケア案を提案している。


2.メディケア・メディケイドの創設
 メディケア・メディケイドの制度創設の背景には、民間医療保険では高齢者の対応ができないという多くの国民の認識があった。高齢者に限定することは医師会にとっても、診療の自由の幅を犯されることを最小限に止めることができることから受け入れやすいものであった。連邦政府としても、既に高齢者年金が軌道にのっており、その運用を見通すことがある程度できていた。つまりメディケア・メディケイドはどの方面からも合意を取り付けやすい制度であったのである。
 その当時のジョンソン政権は、公的高齢者医療保険については医師会の反発を考慮して、病院にのみ強制適用する制度を提案した。しかし医師会は病院と医師サービス双方とも任意加入とする制度を考えていた。これが折衷化され、病院は強制適用(パートA)、医師サービスは任意加入(パートB)という形態で、メディケアは制度化された。また貧困者に対する医療扶助制度であるメディケイドは、その導入を州の任意としていた。そして導入した州に、連邦政府が補助を行うこととした。(各州は順次導入し現在は全州が実施している)
 参考文献、参考ホームページ等のリストアップ、記入の日付等

 

医療費抑制と包括医療保障
1.支払審査による医療費抑制のためのPSROの創設      
 1972年に社会保障法が改正され、PSRO(Professional Standard Review Organization)という審査機構が創設された。メディケアの創設以来の著しく増大する医療費を、適正に調整するために診療の量の妥当性を確認する機構として創設された。本機構はその後の1982年にPRO (Professional Review Organization)と改名され発展し更に審査機能が強化されている。PSROの創設時の審査機能は、診療の量だけを審査し、費用の妥当性には及ばなかった。医療費の抑制機能はあまり発揮するものではなかった。しかし、医師会の反発をかわしながら審査機構を創設したことは、1982年の本格的な審査機構PRO創設の橋渡しをするという医療費の調整政策と位置づけることができて、おおいに意義深いものであったと結論づけられる。

2.1980年代の普及基盤となったHMO法      
 HMO法 (Health Maintenance Organization Act of 1973)は、1973年に公衆衛生法(Public Health Service Act)の追加修正法として創設された。本法案の作成時には、包括的な医療保障体制を構築すること、医療費を抑制することを意図するとともに医師会の合意を取り付けやすくすることが考慮された。
 本法の創設時には約30程度であったHMOを、ニクソン政権は1976年までに1700のHMO組織をつくり、国民の90%が加入するという壮大な目標を立案した。しかし、国民がその有効性を理解できず、実際には1976年の加入者数は600万人にとどまった。
 HMOが飛躍的に増加するのは1980年代に入ってからのことで、87年にピークを迎え707となった。1993年にはHMO数は549と減少したが、加入者は増加しつづけ国民の18.5%、4724万人が会員となっている。

(1)HMO法の概要
 HMOの活動が、特に入院費用の削減に効果的であったという研究結果に基づき、連邦政府はHMOを奨励普及する5年間の計画を制度化したのである。これにより5年間で3億2500万ドルの連邦政府補助金がHMOに与えられた。また、同法で一定地域内にHMOがある場合、企業はHMOを従業員に対して選択肢として提示することを義務づけた。更にメディケア・メディケイドの適用者も、希望によりHMOを選ぶことを可能とした。

(2)医療費抑制を意図したHMO法
 メディケア・メディケイドの創設後、医療費が著しく増加し、この対応にニクソン政権は迫られていた。入院医療費の抑制に奨励作用が働く、前払い型グループ診療をモデルとして、同様な組織を全米に普及させ国民の大半をこれに加入させることで医療費の抑制を行うことを意図した。

(3)民主党の国民皆保険構想への対応を意図したHMO法
 ニクソン政権は、医療費抑制に対応するとともに、エドワード・ケネディー(民主党)の国民皆保険案に対抗する医療保障拡充案を構築する必要性があった。HMOを普及支援することは、医療保障体制の充実という考えも含まれていたのである。

(4)HMOの定義づけの裏側にある医師会への配慮
 医師会は医師の独立の立場を危うくする前払い型グループ診療に対しては否定的であった。この医師会の合意を取り付けるために、当時一般的であった前払い型グループ診療(PGP, Prepaid Group Practice)という言葉を用いず、HMO(健康維持組織)という新しい表現で組織の定義づけをしたのである。また、このPGP(医師を雇用する組織)と、IPA(Independent Practice Association、開業医がグループを形成した医療提供機関)を、HMOの概念としたのも同様の理由によるものである。


3.国家医療計画・資源開発法の創設による病床規制   
 1974年に国家医療計画・資源開発法(National Health Planning and Resources Development Act of 1974)が成立し、無秩序な病床の増加が管理・抑制され始めた。本法では連邦レベル、州レベル、地域医療圏レベルの3つの区分で医療計画が策定された。1978年までに213の医療圏が指定され医療計画が策定された。また同法では従来任意であった州政府が増床許可を行うことを義務づけた。必要とする場合は必要証明を交付し、この証明なしに増床した場合はメディケア・メディケイドの償還を州が削減できる。

 

 参考文献、参考ホームページ等のリストアップ、記入の日付等

 

抑制期の医療保障の適正化

1.PSROがTEFRAに基づきPROに改組    
 TEFRA(税制均衡財政責任法/Tax Equity and Fiscal Responsibility Act of 1982)により、公的医療保障の適正化が行われた。

 PSROの支払審査は診療の量の妥当性によるもので、診療に係わる費用や内容にまで及ぶものではなかった。この審査機能を強化するためにTEFRAに基づきPSROはPROへと改組し進展された。
 メディケアからの支払は各州に設置されたPROが審査を行い、その内容は、診断内容の正確性、提供された医療サービスの妥当性、患者の入院、転院が適切か否かを判断している。

2.医療費抑制の効力に乏かったCPR支払方式      
 メディケアの創設以来、償還額決定方式はCPR(Customary Prevailing Reasonable)という方式がとられていた。各州のメディケイドも、メディケア方式を多く取り入れているため、米国の公的な医療保障制度の基本的な償還額決定方式となっている。
 CPRは自由診療価格を償還月額決定の基本因子としているため、政策介入の範囲が極めて限られる。連邦政府はこれを是正し、医療費コントロールを強化するためにパートAにDRG(Diagnostic Related Groups)−PPS(Prospective Payment System)、パートBにRVS(Resource-based Relative-value Scale)を導入したのである。

3.メディケアにDRG/PPSの導入         
 国民医療費がついに1982年にはGNPの10%を突破し、本格的な医療費の抑制策が必要となった。そのため翌1983年にDRG/PPSがメディケアに導入された。
 DRG/PPSは、1970年代の初めにエール大学で考案された医療費定額予見払い方式を基礎としている。具体的には疾病診断をグループ化し、更にこれを医療行為・年齢・退院時の状態等で細分化し妥当な入院日数を40万人の診療録から統計的に割り出し、これを金額換算したものである。この支払方式は研究者達が加入するHMOの医療費コントロール、財政運営を管理する目的で作成されたものである。
 本支払方式が極めて財政管理に貢献することが、話題となっていた背景もあり法案は、誰もが予想できなかった程早いペースで作成され、1983年には立法化された。
 DPG/PPSはホスピタルフィーの運営費用に適用された制度であり、医師の費用、病院のキャピタル費用(土地・建物・教育費等)は別途償還方式で支払われている。

(1)DRG−PPS償還額算定の方式

 入院1件当たり償還額は連邦償還価格に病院賃金指標・DRG係数を乗じ更に付加的支払額が加算されるという方式で算定される。

(2)DRG係数の決定方法
 DRG係数は、疾病・手術の有無、患者特性等によって医療サービスの難易度を係数化したものである。件数の決定因子と決定フローは、診断群、手術の有無、診断名、年齢、合併症などにより決定される。

4.医師の技術料にRVSを導入      
 1989年に医師の技術料等に係わるメディケア・パートBの抜本的改正を含む法律(1989年総合予算調整法、通称OBRA89法, Omnibus Budget Reconciliation Act of 1989)が成立した。その法律により、診療報酬償還額決定方式をCPRからRVS(Resource-based Relative-value Scale)に切り替える改革が行われた。RVSは略名称で正式にはRBRVSという。RVU(Relative Value Units)と称される診療行為の相対指標に、地域調整・ドル換算の係数を乗じて診療報酬点数表を作りこれを償還額とする制度である。1985年から1989年の間にパートBの医療費の伸びはパートAの3倍を示した。この要因が医師の医療サービスの単価向上、1件当たりの医療サービス量の増加によってもたらされたものが調査の結果明らかとなった。医師の技術量に何らかの抑制策をかけることは避けられない課題となっていた。本制度の施行は1992年より段階的に行われ、5年後の1996年に全米で実施されている。

(1)RVSの起源はCOBRA
 連邦議会は高額化する医師技術料に対して、1984年に85年から翌年2年間の改定凍結するといった抑制策を講じた。その直後の1985年に抜本的改革に着手するCOBRA(1985年包括予算調停強化法, Consolidated Omnibus Budget Reconciliation Act of 1985)を成立させた。本法により議会に医師報酬検討委員会(PPR, Physician Payment Review Commission)を設けること、米国厚生省が診療報酬点数表を作成することなどが定められた。米国厚生省はハーバード大学のシャオ教授グループに研究を委託し、1988年にRVSの根幹である相対評価指数がまとめられた。これに基づきPPRCが議会に改革を提出し、1989年のOBRA89で導入することが決定された。


(2)内科的診療の評価向上と外科診療の報酬低減
 米国の医師所得は高額で、OECD(Organization for Economic Cooperation and Development, 経済協力開発機構)の87年の調査では一般労働者の5.4倍と発表している。しかし、医師の種別によって収入格差がありこの正当な評価もRVS導入の際には議論された。内科医学会、家庭医学会、内科医会ではプライマリケア的サービスはメディケアの中で過小評価されているという意見を持っていた。シャオ教授の研究は時間的要素を重視するもので、患者の病歴を取る、生活向上のアドバイスを行う等の診療に対しても十分に評価を与えており、これらの不満に対応する結果となった。アメリカ医師会もこの案に基本的賛成を示したが、外科医会は最後まで反対を行った。RVSは外科医の収入を低下させ、プライマリケア医師に配分するという診療技術の評価の見直しという意図が含まれていたからである。

5.病院外来医療費の包括化のためのAPG−PPS開発 
 DRG/PPSに続いて米国では、病院の外来サービスに対して包括支払方式を導入することを検討している。医療財務局(HCFA, Health Care Financing Administration)は既にこのアウトラインを連邦議会に提出する旨の発表を行っている。
 APG(Ambulatory Patient Groups)とは、臨床的特質・消費された医療資源・医療費の3つが似通った患者をグループ化するものである。メディケア導入については未だ決定をされていないが、今後の動向に注視すべき制度である。


(1)病院の外来医療進出による医療費増加が開発背景
 病院外来に導入する予定前払い方式PPS方式は1986年のOBRA制定で設計・構築を行うことが決定されている。この背景には病院がDRGの対応の一つとして外来医療に傾注した結果、この医療費を著しく伸ばしたことがある。1984年の外来の受診回数は12億件で、この大半は診療所(Physicians office)で救命救急センターや病院はこの内23%にすぎなかった。しかし、現在は約9割の病院が外来サービスを行い1986年頃と1996年前後と比較すると、その医療費は約10倍に膨張しているのである。


(2)既に民間保険では一部導入
 連邦議会が設立した「包括支払方式アセスメント委員会」(Pro PAC, Prospective Payment Assessment Commission)はメディケアにAPGを導入の効果には懐疑的である。一方、共和党はPRGの推進路線をとっており、民主党のクリントン大統領と同委員会の間での見解の一致は未だなくメディケア導入の行方は不鮮明な状況にある。
 メディケアのこの状況に対して、民間保険では導入に踏み切り初めている。オハイオ州のブルークロスは州西部で1995年に導入、また1996年にはユタ州のブルークロスが州全体で導入を行っており、この抑制効果が明白になることが今後の政策動向に影響を与えるとも考えられる。

6.長期療養サービスの適正化と包括支払方式の研究    
(1)ナーシングホームに対する規制強化
 1987年にナーシングホーム法規制の見直しがなされ、サービスの適正化のために規制強化がなされた。この改正法は1990年より施行されている。ナーシングホームはメディケア・メディケイド制度上、スキルドケア施設と中間ケア施設などに大別され、従来はサービス機能の基準が異なっていた。
 この改正でこれを統一し、保険適用の違いだけがこの双方施設の相違となった。更に基準に違反した場合の罰則強化も行っている。また、高額な入所料金を患者からとることは従来禁止されていたが、実際には行われていたことを鑑みこの規制を強化した。

(2)RUGのナーシングホーム適用とPDGの開発
 長期療養患者に対する包括払いの試みはDRG−PPSが導入される10年以上前から複数州のメディケイドで始められていた。しかし、RUGが開発される以前のものは何らの問題要素を含んでいた。1981年に研究者(フェリエス・Friesとコッネイ・Cooneyの2人)はコネチカット医療標準評価機構及びバッテル(Battelle)人材開発センターの収集したデータに基づき長期療養患者をその特性に応じて類別する仕組みを開発した。これがRUG(Resource Utilization Group・医療資源利用グループと訳される)である。現在多くのメディケイドではこの方式を採用しナーシングホーム等への支払に活用している。
 更に現在、このRUGの成果を受け継いでPDG(Patient Dependency Group)という長期療養患者の分類手法の開発がなされている。

総医療費の伸び率の鈍化
−DRG/PPS(1983年導入)−

総医療費
(10億ドル)

対GNP比(%)

対前年伸び率(%)
1960 27.1 5.3
1965 41.6 5.9 153.5
1970 74.4 7.4 178.8
1975 132.9 8.4 178.6
1980 250.1 9.2 188.2
1985 422.6 10.5 169.0
1986 454.9 10.7 →107.6
1987 494.2 10.9 108.6
1988 546.1 11.1 110.5
1989 604.3 11.5 110.7
1990 675.0 12.2 117.7
1991 751.8 13.2 111.4
1993 898.0
119.4
 
抑制期の中心HMO・PPO


1)国民の半数が加入したHMO・PPO        
 1992年のHMOの加入者は約4千万人、PPOの加入者が8千万人である。米国人口が約2億5千万人であるから、47%の国民がHMOまたはPPOに加盟していると推定できる。
 HMOは1973年にHMO法が創設され、連邦政府がその普及政策をとったが、この時期の成長は大きくなかった。HMOが現在の規模となる発展を遂げたのは1983年からで急速に加入者を増加させた。
 PPO(Preferred Provider Organization)とは、病院・医師がグループを作り、医療サービス価格をディスカウントとして契約者に医療提供する機構のことで、医療提供者集団と訳されている。HMOと根本的に異なるのは保険機構を持たないところにある。PPOは歴史的創設時期が明確ではないが、かなり昔からあったと言われている。
 このPPOが法的に認知されるのは1983年でカリフォルニア州で成立したPPO設立法案が最初で、後に各州の立法化、連邦政府の公定的見解によって制度として認知された。このHMO・PPOが躍進した理由は一般的に加入している伝統的保険と称されるものと比較して保険料が低額なことにある。

(1)1980年代に急激な拡大をしたHMO・PPO
 HMO・PPOとも1980年代より急激に増加あるいは拡大を示している。HMOは1970年代後半から急増し、加入者も拡大した。1980年代後半になると加入者増の一方でHMO数そのものは減少している。要因は高齢者の加入が増加したことにより経営難に陥ったHMOが他のHMOに吸収されたことが主な要因である。

(2)HMO・PPOの魅力の一つが低額保険料
 保険料はHMO、PPOの順に低額である。米国でも民間医療保険加入の大半は企業単位の団体契約をしている。保険料は従業員の自己負担と企業負担で支払われるため、低額保険料は双方にメリットがある。

(3)受診時自己負担がなく広範囲医療サービスがHMOの魅力
 HMOの保険料以外の魅力としては、受診時の自己負担がないという点が挙げられる。一般的な民間の出来高保険の場合、保険適用金額の20%は患者自己負担となる。さらに保険適用外の診療費用は全て自己負担ともなる。
 HMOは保険適用サービスが広範で、更に自己負担は殆どの場合、必要としない。このサービス実施には当然のことながら徹底した効率化が必要となるため、適正な医療を行うための事前審査、医療機関の指定、電話によるカウンセリングで無駄な医療の提供を省き、コスト削減するということがなされている。認知されない段階ではこの管理の在り方が疑問視され、連邦政府が法制度をつくり普及支援したにもかかわらず70年代にはあまり躍進しなかった。その後のHMOも可能な範囲で医師を選択できるようにしたり、予防医療の必要性が理解されはじめたことも80年代の急激な拡大要因となっている。

(4)保険料や自己負担を軽減して受診できるPPO
 保険会社とPPOは医療サービスのディスカウント契約を結びPPOプラン(PPOの医療をディスカウントで受けられる保険商品)加入者に保険料や自己負担の軽減をしている。PPOは保険会社が選定しディスカウント契約した医療提供者群のことで、これを保険商品名称(PPOプラン)に用いてる。加入者がPPOの医療を受けた場合は、殆ど自己負担はなく、PPO以外で医療を受けた場合は自己負担が生じる。
 ブルークロスやブルーシールド、大手生命保険会社がPPOと契約しているため、HMOのように医療機関の指定を加入者は殆ど受けることはない。
自分の医療は自分で選ぶという風土であるアメリカではこの従来型の医療保険にディスカウントサービスが付加されるPPOプランを好む傾向がある。
 しかし、PPOプランもHMO同様、低コストの医療を供給するための管理を行っている。従来型の保険では審査を事後に行うがPPOプランでは事前の審査を行う。またPPOの主治医の診療が適正か、必要かを確認するための別の医師による確認システム、セカンドオピニオン制度も、かなりの割合で実施している。

2)HMO・PPOが生み出したマネジドケアの概念   
 HMOやPPOが急速に国民に普及し米国医療保障の中で大きな存在となった結果、これらを指す総称名称、マネジドケア(Managed Care)という言葉が生まれた。
 マネジドケアは狭義ではHMO・PPOを指すが、現在はブルーシールド・ブルークロス・営利民間保険会社が開発した医療管理を強化し、医療費の効率化を図った保険も包含してマネジドケアと呼ばれている。このマネジドケアの普及と発達は企業の医療保険負担を軽減することに貢献している。

(1)マネジドケアの概念
 医療費の適正化のために超過需要を減らすシステムの総称名称である。
 医療保障者が医療を受ける者と医療を提供する者に医療費を抑制する動機づけを行うシステの総称名称がマネジドケアである。
 米国ではHMO・PPOを指してマネジドケアと呼ぶことが多い。これは双方がマネジドケアを運営する目的で成り立っている組織だからである。
 実際には、民間保険会社・保険団体も医療管理統制機能のある医療保険、例えばPPO等との提携に基づくマネジドケア型保険を有しこれを主力商品としており、これらもマネジドケアの担い手となっている。
(2)マネジドケアに含まれる民間医療保障
マネジドケアと総称する中に含まれる医療保障は医療費を適正化する目的で医療管理手法が用いられている。

(3)マネジドケアによる企業負担の軽減
 ニューヨークのフォスターヒギンス社が企業の医療保険料負担を調査し、1993年から1994年にかけて軽減し、この要因が従来型の保険からHMO・PPOに移行したとによると結論づけている。
 企業にとり、医療保険料の負担の増加は著しく、80年から92年の平均増加率が公的医療保険が10%、民間保険の団体契約料が13.1%にものぼっている。これが前年を下回ったということは画期的な出来事といっても差し支えない。

 

HMOとPPOの保険システムの分類
マネジドケア種別 HMO
スタッフ型
HMO
グループ型
HMO
IPA型
PPO
保険機構 組織内にある 組織内にある 組織内にある 組織外の保険機構と契約
病院 HMOが所有 HMOが所有 組織外の病院と契約する PPOが選定して加盟誘導
病院の費用
支払い
HMOが予算によつて運営 HMOが予算によって運営 HMOが人頭制で前払い 契約保険機構がディスカント報酬をPPOの経由にて都度支払う
医師 HMOが雇用 医師を1つのグループに組織化し、これと契約 複数の医師グループで構成されるIPAに人頭制で前払い PPOが選定して加盟誘導
医師の費用
支払い
給料 グループに人頭制で前払い。グループは医師に給料を支払う IPAに人頭制で前払い。
IPAはディカンウトで出来高報酬を支払う。
契約保険機構がPPOを経由してディスカント報酬を都度支払う
病院・医師への規制 加盟者に対する医療提供のみ 加盟者に対する医療提供のみ 規制なし 規制なし
加盟者への保険適用となる受診規制 HMOの医療機関に限定 HMOの医療機関に限定 HMOの医療機関に限定 保険契約によって他受診も適用
保険料及び受診時自己負担 定額保険料
自己負担なし
定額保険料
自己負担なし
定額保険料
自己負担なし
定額自己負担
自己負担あり
  
アメリカのナーシングホームの実態

メディケイド適応のナーシングホーム(Intermediate Care)

 


給付の対象となる機能訓練室

 


デイルームと看護助手(Nurse Aide)

 


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